佐久間ひさ子のキレイの玉手箱
いつまでも美しく輝くためのコツは、毎日のちょっとした心がけ。暮らしの中でキレイを磨く佐久間ひさ子流のアイデアをご紹介していきます。

Jan.2011 Vol.19

大震災の後に思うこと

日本中を震撼とさせた「東北地方太平洋沖地震」から、もうすぐ2ヶ月。まだまだ復興への道のりは遠いものの、私たちの周囲では、被災地支援のための活動の輪が広がっていますよね。ペスカでも、少しでも被災者の方のお役にたてればとの思いから、微力ながらいくつかのお手伝いをさせていただきました。そこで今回は、そんな私たちの活動をご報告させていただきながら、今私が感じていることもお話させていただきます。

スタッフとその家族が、一丸となったチャリティバザー

 震災以降、世の中は自粛ムード。毎年、桜の咲く季節に成城の商店街で催されてきた恒例の「成城さくらフェスティバル」も、今年は中止になってしまいました。けれど、ただイベントをあきらめるのではなく、代わりに何か被災地のためになることはできないか、とスタッフで話し合い、ペスカでは去る4月10日、「チャリティバザー」を実施 させていただきました。当日は、昨年の「成城さくらフェスティバル」と同様に、スタッフ全員で朝早くから150本のクレープを焼き、お店の前で販売。さらに、スタッフが子どもと一緒に手作りして持ってきてくれたマフィンや、通販用に社内にストックされていた新品の衣類なども販売し、その売り上げのすべてを被災地への義援金にあてることに。さらに、売り場のワゴンの横には募金箱も用意して、みなさんに募金への協力もお願いしました。スタッフはもちろん、その家族である子どもたちも、そしてペスカの看板犬であるジェラも一緒になって寄付を呼びかけたおかげで、バザーは大盛況。おかげ様で集まった寄付金は13万円以上になり、そのすべてを、ユニセフを通じて被災地へお送りすることができました。ご協力くださった皆様には、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。

看板犬ジェラは、首から募金を呼び掛けるカードを下げてお手伝い。ジェラも被災者のみなさんを、一生懸命応援しています。

ペスカの化粧品を、救援物資として被災地へお届け

 震災直後から救援物資の不足が叫ばれていたことは、みなさんもご存知のことと思います。その後、多くの企業やボランティア団体などの協力もあり、徐々に事態は改善されてきているとは聞きますが、それでも、被災者の方々の暮らしは、震災以前の日常とは程遠い不自由なものに違いありません。そのことを、私に痛感させたのが、震災後1週間ほどしてかかってきた、避難所暮らしのお客様からのお電話でした。その方は、ずっとペスカの化粧品を愛用してくださっていたのに、今回の震災で家を失い、定期購入で届けていただいている化粧品を受け取れなくなってしまった・・・、とおっしゃるのです。そのお話を聞き、私はいてもたってもいられなくなり、すぐにでもペスカの製品を被災地にお届けしなくては、という思いにかられました。けれど救援物資というと、すぐに必要とされる生活用品が優先され、化粧品は二の次、三の次と見なされがち。いざ送ろうとしてもなかなか送ってくれるところが見つからず、一度はあきらめかけました。でも、基礎化粧品は女性にとっては立派な生活必需品。水や食糧などによって餓えや乾きが満たされたら、次は美しくありたいと願う心も満たされなければ、最低限の暮らしとは言えないはずです。そう思い直し、再度協力先を探していたところ、東京アメリカンクラブの婦人会の方々が、快く引き受けてくださることに。さっそく仕事の合間をぬって、スタッフみんなでお送りする化粧品をセッティング。ペスカの基礎アイテム一式をセットにしたサンプルセットを2,446セット用意し、被災地である福島県相馬市へお届けさせていただきました。

左)スタッフみんなで手分けしてセットした救援物資は、段ボール45箱分にも!チャーター便で被災地のみなさんへ届けていただきました。
右)救援物資への協力を引き受けてくださった、東京アメリカンクラブ婦人会の方々と。みなさんのご厚意には、ただただ感謝です!

 今、私は人と人との繋がりの強さをしみじみと実感しています。同時に、被災地の手助けをしたいと願いながらも、実は、私たちが被災地の方々から逆に多くの励ましや勇気をいただいているような気がしてなりません。
 人々から笑顔を奪い、街から明かりを消し、暮らしから平穏を取り去っていった「東北地方太平洋沖地震」。けれどその一方で、この震災が私たちに人と人が思い合う気持ちを思い出させてくれたことも忘れずに、ひとりひとりが今できることを実行し、一日も早い復興を目指して一歩ずつ前進していきたいものです。

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